訪日外国人の感染症対策

以下の出典を一部改変しました。
出典:濱田篤郎:インバウンド感染症. 感染症. 49:83-91.2019.

法務省の出入国管理統計によれば、日本への外国人入国者数は2010年以降急増を続けており2018年は3000万人を越えました(図1)。また、2018年の日本の外国人労働者数は146万人で、10年前の3倍に増えています(厚労省・雇用状況調査)。さらに、日本学生支援機構の報告によれば外国人留学生の数も2018年は29万人にのぼっており、とくに日本語学校への留学生が増えています。
このように近年は訪日外国人、外国人労働者、外国人留学生が増加していますが、いずれの場合でも出身国はアジアなどの発展途上国が多くみられます。このため、日本滞在中に感染症を発病したり、その結果、周囲に感染症を蔓延させたりするケースも続発しています。こうした外国人が日本に持ち込む感染症を、インバウンド感染症と呼んでます。

図1:日本からの出国者と外国人の入国者(出入国管理統計)

外国人発熱患者で疑う感染症

2016年、東京都が都内の有床医療機関(約300か所)を対象に行った外国人の受診状況調査によれば、7割以上の医療機関が外国人の受診を経験しており、受診理由としては発熱が最も多い症状でした。
東京都・外国人旅行者等への医療情報提供に係る調査結果 平成28年10月
外国人受診者の発熱の原因としては、上気道炎など日本でも頻度の高い感染症もありますが、発展途上国からの出身者では、デング熱、マラリア、腸チフスなどの熱帯感染症も鑑別疾患として考えなければなりません(表1)。

表1.外国人の発熱患者で疑う感染症
感染症名 主な流行地域 一般的な病原診断
デング熱 アジア、中南米、南太平洋 血中のウイルス抗原検査
マラリア 熱帯・亜熱帯地域
(とくにアフリカ)
血液塗沫検査
腸チフス 熱帯・亜熱帯地域
(とくに南アジア)
血液培養検査
インフルエンザ 北半球温帯は1~3月、南半球温帯は
6~8月、熱帯・亜熱帯は通年
鼻腔・咽頭のウイルス抗原検査
結核 発展途上国全域 喀痰培養検査
麻疹 発展途上国全域 血液のIgM抗体検査

国際的な大規模集会にともなう感染症

2020年夏に予定されていた東京オリンピック・パラリンピックは、新型コロナウイルス感染症の影響で、2021年7月に延期されましたが、国際的な大規模集会(マスギャザリング)を契機に感染症が流行する事例も今までに数多く発生しており、インバウンド感染症の一つとして重要な位置を占めています。
たとえばサウジアラビアのメッカはイスラム教の聖地であり、毎年多くの巡礼者が訪れます。10月頃に行われる大巡礼(Haji)には、全世界から約200万人の信者が訪問します。この大巡礼に際して、髄膜炎菌性髄膜炎の流行が今までに何回も発生しました。最近では2000年と2001年にW135群の流行が発生し、それぞれの年に約400人の患者がサウジアラビア国内や巡礼者の母国で確認されています1)。この他にも、2002年に米国・ソルトレイク市で開催された冬季オリンピックでは季節性インフルエンザの流行が2)、2007年に米国・ペンシルバニア州で行われた国際青少年スポーツ大会では麻疹の流行が3)発生しています。日本でも、2015年に山口県で開催された世界スカウトジャンボリーの外国人参加者の中に髄膜炎菌感染症の患者が発生しました4)
このように大規模集会にともなう感染症としては、麻疹、インフルエンザ、髄膜炎菌感染症など空気感染や飛沫感染する疾患が多く、集会への参加者や集会の運営側スタッフが事前に予防接種などによる感染対策を実施しておくことが必要です。

【参考文献】
1)World Health Organization:Emergence of W135 Meningococcal Disease. Report of a WHO Consultation, Geneva 17-8 September 2001
2)Gundlapalli AV, Rubin MA, Samore MH. et al.: Influenza, Winter Olympic 2002. Emerg Infect Dis.12:144-146. 2006
3)Ehresmann KR, Hedberg CW, Grim MB. et al.:An outbreak of measles at an international sporting event with airbone transmission in domed stadium. J Infect Dis, 171:679-683. 1995
4)金井瑞恵、蜂巣友嗣、福住宗久:世界スカウトジャンボリー(山口県)に関連したスコットランド隊員およびスウェーデン隊員の髄膜炎菌感染症事例についてIASR. 36:178-179. 2015

外国人労働者、外国人留学生と感染症

日本で働く外国人労働者数は年々増加しており、厚労省の外国人雇用状況調査によれば2018年は146万人にのぼりました(図2)。この数は10年前の3倍以上の数です。さらに、2018年12月には国会で出入国管理法の改正案が可決、成立しており、今後、外国人労働者数はさらに増加することが確実です。現時点で、外国人労働者の出身国をみると中国が最も多いですが、ベトナムやネパールからの労働者が最近は増加傾向にあり、この傾向は今後も続くものと予測されています。さらに日本の学校に通う外国人留学生の数も最近は増加しています、こうした長期滞在する外国人が持ち込む感染症はインバウンド感染症として大変重要であり、既に欧米諸国では社会問題になるよう事態もおきています。

日本でも長期滞在する外国人の持ち込む感染症として結核が注目されています。たとえば2017年は国内で1万6000人の結核患者が新規に報告されていますが、このうちの約1割は外国生まれの患者で、2006年に比べて2倍以上の数になっています(図3)1)。とくに15~24歳の患者の6割近くは外国人です。国別ではフィリピン、中国からの外国人が多いですが、最近はベトナム、ネパールからの患者増加が顕著にみられています。こうした事態に対処するため、日本政府はアジア諸国からの長期滞在希望者に対し、ビザ申請時に「結核非罹患証明書」の提出を求めることを決定しました)。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/kenkou/kekkaku-kansenshou03/index_00006.html

麻疹、風疹、水痘など空気感染や飛沫感染をおこすウイルス疾患にも注意が必要です。風疹は2012年に群馬県の事業場で、日系ブラジル人などを中心に集団感染が発生しました2)。2016年には埼玉県でベトナムからの企業実習生を起点とした集団感染もおきています3)。さらに、東京の国立国際医療研究センターでは、2012年から2016年に外国人成人の水痘患者を22例経験しており、このうちの10例は日本語学校に通うベトナム人などの集団感染でした4)
飲食店で働く外国人従業員も増えていますが、2015年には都内の飲食店で働くインド国籍の従業員が発熱をおこし、腸チフスに罹患していることが明らかになりました5)。本事例による二次感染はおきていませんが、店で提供する食事が汚染されていたら、それを食べた客にも感染拡大する可能性があり、食品衛生上も十分な注意が必要です。

発展途上国からの外国人長期滞在者が感染症を持ち込むリスク行動として、一時里帰りが注目されています。欧米ではこうした行動をVisiting friends and relatives(VFR)と呼び、マラリア、腸チフス、麻疹、結核などを持ち込むリスクが高いことが明らかになってます6)

【参考文献】
1)河津里沙:輸入感染症としての結核. IASR 38:234-235. 2017
2)澁澤美奈、高橋宏子、新島とよ子 他:外国系労働者の多い事業所における風疹の集団感染事例―前橋市. IASR 34:100-101. 2013
3)小林祐介、神谷元、福住宗久 他:埼玉県内における外国人職業技能集合講習を発端とした風疹広域感染事例. IASR 38:188-190. 2017
4)高谷紗帆、忽那賢志、大曲貴夫:外国人渡航者・居住者の成人水痘. IASR 39:135-136. 2018
5)関なおみ、大迫愛子、小澤紀子 他:カレーチェーン店従業員における腸チフス単発症例の報告. IASR 36:181-182. 2015
6)Keystone JS : Immigrants returning home to visit friends & relatives (VFRs). In CDC Health Information for International Travel 2018. Oxford University Press, New York, p584-588. 2018

外国人労働者への対策

発展途上国からの外国人を雇用する企業については、外国人労働者向けの感染症対策を準備する必要があります。雇用時は労働安全衛生法に定められた健康診断が求められますが、雇用が決定し来日した段階で行う健康診断のため、そこで結核などの感染症が発見された場合は、雇用した企業が責任を持って事後措置を行うことが必要です。
雇用後は労働安全衛生法に定められた定期健康診断を実施するとともに、発熱や下痢など感染症を疑う症状のある者には早目に医療機関を受診するように指導することが大切です。受診にあたっては言葉の問題などもあることから、職場の近隣で外国人診療に慣れた医療機関をあらかじめ検索しておくことを推奨します。外国人労働者が感染症を発病する頻度の高い時期は、来日した直後と一時里帰りした直後で、この時期は職場の上司や同僚が特に注意を心がけてください。
麻疹、風疹、オタフク、水痘など空気感染や飛沫感染するウイルス疾患については、雇用時などに外国人労働者の抗体価を測定し、陰性の場合は予防接種を実施するなどの対応も検討ください。
一時里帰り時に母国で感染症に罹患するリスクを減らすためには、外国人労働者向けの感染症予防マニュアルを作成したり、予防教室などを開催したりすることも必要です。

【特集】歴史の中のインバウンド感染症

以下の出典を一部改変しました。
出典:濱田篤郎:インバウンド感染症. 感染症. 49:83-91.2019.

インバウンド感染症の社会に与える影響を理解するため、マラリアの歴史を振り返ります。
マラリアの大流行が歴史の中で登場するのは古代ローマ帝国の時代です。4世紀の帝国末期、政治的混乱などで河川の整備が停滞したことに起因し、イタリア半島では蚊が大量に発生していました。また、戦乱による労働力不足を補うため、アフリカなどから多数の移民がイタリア半島に流入しました。この移民の中にマラリア患者が数多くいたため、マラリアの大流行がローマ帝国全体を襲い、帝国は急速に崩壊していったのです。インバウンド感染症の流入が社会を衰退に導いた代表的な事例でしょう。
次にマラリアが大流行するのは16世紀の大航海時代です。この時代、ヨーロッパから多くの植民者がアメリカ大陸に向かいましたが、その影響で新大陸では天然痘や麻疹の大流行がおこり、先住民が多数死亡しました。この結果生じた労働力不足を補うため、ヨーロッパの植民者はアフリカから黒人奴隷をアメリカ大陸に移送しました。この中にはマラリアの患者も数多くいたのです。それまでアメリカ大陸でマラリアの流行はありませんでしたが、この病気を媒介するハマダラカは生息していました。そこにマラリアにかかった患者が多数移送されてきたため、マラリアの大流行が新大陸で発生します。この影響で、新大陸の植民地化は大きく遅れをとったのです。ローマ帝国と同様に、インバウンド感染症の流入が社会に大きな影響を与えた事例でした。
余談ですが、新大陸でのマラリアの流行は、治療薬が発見されるという画期的な出来事にもつながりました。南米の先住民は古くから、キナという薬草を解熱剤として飲んでおり、16世紀にマラリアの流行が始まった時も、高熱の患者にキナが投与されましたが、この薬草には解熱効果があるだけでなく、マラリア原虫を殺す効果もありました。キナがマラリアの治療に有効であるとの情報は、当時、新大陸に展開していたキリスト教の宣教師によりヨーロッパにも伝えられ、19世紀初頭にはキナから有効成分であるキニーネが分離されたのでした。
ローマ帝国でも、新大陸の植民地でも、外国人労働者の増加によるマラリアの流入が、帝国の崩壊や植民地建設の遅延を招きました。これは現代社会でも同様であり、今後、コロナによるパンデミックを乗り越えた後、日本社会が外国人を数多く受け入れていくのならば、国をあげてインバウンド感染症への対策に万全を期すことが必要でしょう。

訪日外国人用蚊よけ対策ポスター

訪日外国人用蚊よけ対策ポスター

外国籍労働者の感染症対策マニュアル

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留学生のための感染症対策マニュアル

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